Open Innovation WG ・ 検証ノート B2 / H2

電機四社の外資提携
1899 – 1975

姉妹ドキュメント「財閥史をオープンイノベーションで読み解く」において、B2(取り込みモードの違いは事業成果をどう分けたか)と H2(資本を伴う取り込みは事業化を速めるが技術的自立を遅らせるか)だけが、二冊の文献では検証できずに残った。骨格として挙げた三つの提携——古河系×Siemens、Western Electric 系×日本電気、GE 系×東京電気——を実際に調べ、比較可能な対照群として三菱電機×Westinghouse と、提携を持たなかった日立製作所を加えた。

結論から言えば、H2 は支持される。ただし「遅らせる」機構は仮説とは違い、年数での測定には交絡がある。

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年表 — 点を押すと中身が出る

提携・出資研究所自社設計品分社依存からの脱却その他
19001910192019301940195019601970
日本電気Western Electric(のち ITT/ISE)
東京電気General Electric
芝浦製作所General Electric
三菱電機Westinghouse
富士電機製造Siemens
日立製作所外資提携なし(対照群)
— 点を押してください

六社の主要イベントを同一の時間軸に載せた。提携(朱)から自社設計品(緑)までの距離が、そのまま H2 の検証対象になる。

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提携モードの一覧

主体提携年相手モード出資比率最初の自社設計品/研究所導入依存からの脱却注記
日本電気1899Western Electric合弁(外資マジョリティ)WE 54%1928 NE式写真電送装置(29年)1941 経営権が日本側へ(42年)自立の契機は技術ではなく敵国資産処分。年数で測ると交絡する
東京電気1905General Electric資本+ライセンス+役員派遣GE 51%1928 本格的研究所の発足(23年)1969 自主技術の確立が全社方針(64年)GE出資で「ようやく企業基盤を確立」。導入は生存条件だった
芝浦製作所1909General Electric資本+ライセンス+役員派遣GE 24.8%1931 鶴見研究所の独立(22年)1962 大容量火力の自主開発(53年)水力は1930年代末にキャッチアップ済。火力だけが長く残った
三菱電機1923Westinghouse技術提携(資本関係は確認できず)1933頃 電車用モーターの独自仕様(10年)1966 技術交換契約へ(43年)1930年代半ばまでは、ほとんどの製品をWH仕様に変えていく時代
富士電機製造1923Siemens資本+技術(現物出資)Siemens 30%1924 モータ製造開始(1年)1935 通信機部門を分社(12年)出資は機械現物と技術報償金で振替。現金は入っていない
日立製作所——内製(対照群)—1912 分離・発足1942 中央研究所提携を経ずに成立。ただし戦後は積極的に技術導入へ転じる
括弧内は提携年からの経過年数。富士電機だけが、提携の翌年に自社工場から製品を出している。ただしこれは技術的自立を意味しない——シーメンスの出資 300 万円は機械の現物と技術報償金で振り替えられており、そもそも「機械が来た」提携だったからである。
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H2 の検証結果

支持される(速める側)

提携が事業化を速めたことは、当事者の言葉で裏づけられる。芝浦製作所の大田黒専務は 1909 年の GE 提携に際し、電機工場を作るための課題は「資本よりむしろ技術」だが、自社には「研究所をつくるだけの余裕がない」ため GE と提携し「その知識と経験を吸収するのが得策」と説いた。東京電気は輸入品との競争で収益が悪化した末に GE 出資を受け入れて「ようやく企業基盤を確立」し、三菱電機は品質不良が頻発した末に WH 提携で「ようやく事業基盤を確立」した。三社とも、提携は成長の加速装置ではなく生存条件として選ばれている。提携は研究所の代替物だった。

支持される(遅らせる側)。ただし機構が仮説と違う

自立が遅れたのは怠慢ではなく、資源配分の構造による。石井によれば、導入技術の吸収・改良と製品化開発に研究開発部門の多くの資源が振り向けられ、ロイヤリティ支払いがコスト圧力になった。東芝は中央研究所において「生産・販売に直結する重要製品の開発と技術導入抑制のための研究」に重点を置いたという。自立が全社方針として掲げられるのは、東芝が 1969 年、三菱電機が 1970 年代である。H2 は「遅らせる」ではなく「導入技術の消化に研究資源を固定する」と書き換えたほうが機構として正確。

ただし、年数での測定には交絡がある

日本電気の「自立」は技術で来たのではない。ISE 社の持株は 1932 年の住友との資本提携以降に段階的に下がり、1941 年に敵国資産として処分されて初めて経営権が日本側に移った。つまり戦争と資産接収という外生ショックが、技術的自立とは無関係に外資比率をゼロに近づけた。H2 の検証で「自社設計品の登場までの年数」を素朴に数えると、この交絡を見落とす。測るなら、技術的節目(自社設計品・研究所)と資本的節目(持株比率)を別の系列として並べる必要がある。

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ツリーの他の枝に返るもの

富士電機は、循環モデル(D1)の最速例である

1923 年にシーメンスとの合弁で設立され、1924 年モータ、1925 年変圧器、1927 年発電機、1930 年整流器と内製化を進め、1933 年に通信機事業へ進出、1935 年に通信機部門を分離して富士通信機製造(現・富士通)を設立した。導入から分社まで 12 年。「導入 → 内製化 → 事業化 → 分社」という循環が、一社の年表の中で完結して見える唯一のケースであり、しかも分社先が後年の主力企業になっている。D2(1サイクルの所要年数は測定可能か)に対する最初の実測値として使える。

日立は対照群として使えるが、C3 の前提を反転させる

日立製作所は久原鉱業の電気機器修理部門を起点とし、1910 年に小平浪平がオーナー久原房之助の明示的な承認を受けないまま工場を建設、1912 年に分離した。石井は「日立製作所は、久原財閥の事業戦略の一環として設立されたというよりも、技術者チームが主導して設立し、財閥はそのためのバックアップとして活用されたものと理解するのが正しい」と評価する。原案の C3 は「本社の持株機能は内部ベンチャーキャピタルとして機能したか」と問うが、この事例では向きが逆で、起業側が財閥を資金調達手段として使っている。石井は「財閥との関係は諸刃の剣」であり「財閥のトップマネジメントから、経営の独立性を確保することもまた、決定的に重要だった」と書く。

元のツリーの「骨格」は、三つとも実在した。ただし読み筋は変わった

古河系×Siemens は富士電機製造(1923)、Western Electric 系×日本電気は 1899 年の設立そのもの、GE 系×東京電気は 1905 年の出資受け入れ——いずれも実在の提携である。しかしこれらを「財閥のアウトサイド・イン」として並べると読み違える。日本電気は設立時点で財閥の外にあり(住友傘下になるのは 1932 年以降)、日立は財閥を使いこなす側だった。電機産業における外資提携は、財閥が外部知識を取り込んだ物語というより、技術者と外資と財閥の三者が別々の論理で動いた結果として読むほうが、史料に合う。

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まだ埋まっていない穴

  • 三菱電機と WH の提携に資本関係があったかどうか。今回参照した範囲では技術提携としか確認できず、出資比率は空欄のまま
  • 富士電機のシーメンス出資 30%(機械現物と技術報償金で振替)の一次確認。今回は二次情報のみ
  • 各社のロイヤリティ支払い額の時系列。石井は東芝・日立について「経営上のコストはかなり大きく」としており、金額が取れれば H2 を金額で測れる
  • 日本電気の技術的自立の節目をもう一段細かく。1928 年の写真電送装置以外に、交換機・搬送機の自社設計がいつ始まったか
  • 富士通信機製造の分社が誰の判断だったか(C2 の分社判断基準に直結)